第一部:1944年/第二部:1945年 ソビエト連邦
監督・脚本:セルゲイ・エイゼンシュテイン
撮影:エドゥアルド・ティッセ,アンドレイ・モスクウィン
出演:
ニコライ・チェルカーソフ
セラフィーヌ・ビルマン
リュドミラ・ソエリコフスカヤ
さて,ロシア・ソビエト映画祭からの第5弾は,映画史上に名高いセルゲイ・エイゼンシュテイン「未完の大作」です。
この作品は以前にBSで放映されたときに録画したビデオがあるため,特に第一部・冒頭の戴冠式のシークエンスが好きで,ここばかり何度も繰り返し観ていたのですが,全編を通して観るのはじつに久しぶりでした。
今さら私ごときが何をかいわんやという偉大なる作品ではありますが,改めて感じたところをいくつか記しておきたいと思います。
観終わってまず感じたことは,一部・二部を通しての異様なテンションの高さ。
全編に渡って息を飲むようなサスペンシブな感覚に満ち,ずっと拳を握りしめていなければならないような,何かそんな印象なのです。
静謐なタッチで進行していく映画はいくらでもありますが,こんな風にハイテンションのまま劇的に進行していく映画というのは,そう滅多にあるものではないでしょう。
で,このテンションの正体は何なのか? ちょっと私なりに考えてみました。
■一つ 徹底して計算され尽くした映像がもたらす緊迫感
まず目立つのは,人物の表情を極端なクローズアップでとらえ,それを短いショットでつないで見せるモンタージュのリズム。
強烈なライティングによって生み出される陰影の濃さ。ただ押し黙ってニラミを利かせる人物の顔に,下からあおるようにライトを当て,内面に渦巻く憎悪や疑念,葛藤などをシンボリックに浮かび上がらせて見せるその迫力。
二人,三人の人物をフレームに収めるショットが多いのですが,多くの場合,手前と背後に重ねるように人物を配置し,常にどの人の顔もキャメラを向くよう,慎重に角度を調整しています。
そして,背後の人物が何か語りかける(ソソノカす場面が多い)のに対して,手前の人物の表情が刻々と変化していくわけです。
全体に顔の演出にこだわっていて,クローズアップが多く,セリフはなくとも表情で雄弁に物語る。これはある意味,サイレント的な表現でもあります。
そして,同じく強烈な照明によって壁に大きく投影される人物の影,その不安感をあおるような不気味な揺らめき。
特に緊迫した場面で,あえて人物をフレームからはずし,黒々とした「影」だけで表現するシーンもあり鬼気迫るスゴミを感じます。
この映画は,ショットの一つひとつがサイレント映画のスチール写真を観るような感じで,印象的に網膜に焼きつきますね。
どちらかというと,ストーリーテリングよりも映像感覚に重きを置き,常に画のテンションを保っている感じがするのです。
■一つ 極度に形式化・様式化された演出がもたらす高揚感
演出面では,全体として舞台劇的な身振りや動作,セリフ回しを前面に出して,あえてリアリスティックな表現は捨て,シンボリックな表現手法に拘っているようです。
ときに人物の性格付けに応じて,付け鼻のような,やや大仰とも思える特殊メイクを施したりもしています。
この作品を撮ったころ,エイゼンシュテインは日本の歌舞伎に影響を受けていたらしく,特に皇帝イワン役のチェルカーソフの大見得を切るような演技には,その影響を見て取ることができます。
妙に力のこもった大時代な演出ですが,様式化された動作や表情によって,人間の内面を見える型にして描出し,ある種,エキセントリックな映像世界が紡ぎだされています。
■一つ 映像と音響的効果のコンビネーション
冒頭の戴冠式から,いきなりリズミカルな鐘の音が鳴り響き,ロシア正教の荘厳なアカペラ音楽や,能の謡のような即位の祝詞(のりと)など,あふれる音によって彩られています。
全編に渡ってふんだんにBGMや効果音を挿入し,ときにセリフのない静かなモーションだけのシーンには音楽をかぶせ,それによって映像に意味を付与し,ある一定のテンションを保っています。
登場人物のセリフ自体も力感がこもって劇的な響きを持つことが多く,要所でファンファーレのごとく高らかに鳴り響く主題曲も効果的に使われています。
一貫してテンションが高いとはいっても,それは一本調子ではなく,常に緊迫したなかにもしっかりメリハリがあります。一部・二部で3時間の大作ながら,そんなに長い感じがしないのはそのせいかもしれません。
■番外 第二部の意外な構成
観られた方はお解りの通り,第二部は第一部とは構成上ずいぶん違いがあります。
まず意外に感じるのは,唐突にミュージカルの要素が組み込まれることでしょう。最初,ちょっと驚きますが,それでも違和感がないのは,第一部からエキセントリックな劇的演出で一貫しているからなのではないでしょうか。
そしてこの第二部を特徴づけるのは,何といってもパートカラー(モノクロを基本に部分的にカラーを挿入している)でしょう。
なるほど,このシーンでこの演出ならカラーにするのが必然と納得できる,歌と踊りに彩られた美しくも妖しい饗宴シーンです。
このカラーの色調は非常にコントラストが高く,極端に陰影が強いのが特徴的で,特に黒を基調として,ライティングによって燃え盛る炎のような赤を加えており,文字通り不思議な色彩感覚ですね。
色調はまったくナチュラルではないのですが,じつに映画的な感興があって,これもこの映画のテンションを保つことに一役買っているように思います。
余談ですが,今回観たプリント(フィルムセンター提供版)は,カラー場面で途中から急に色調が転換してしまって,これは,おそらく複数のプリントから状態の良い部分をつなぎ合わせた結果ではないかと思われます。
当時アメリカ映画などでよく使われた三原色テクニカラー方式(赤・緑・青の三本のモノクロフィルムによるカラー)ではなく,カラーフィルムを用いて撮られているわけですが,この時代のフィルムとしては,褪色がさほどでもないので,よほど保存状態が良かったのでしょう。
以上,まことに勝手ながら,感じたことを思いつくまま述べてみました。
第3部を完成することなくエイゼンシュテインが亡くなったことが惜しまれますが,たとえ未完とはいえ,観る価値の高い作品であり,これが劇場上映できる形で残されていることは,じつに幸運なことといってよいと思います。
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