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2008年5月

2008/05/26

『今夜、列車は走る』 ~日本ではできなくなった映画~

2004年/アルゼンチン/110分
監督:ニコラス・トゥオッツォ
脚本:マルコス・ネグリ,ニコラス・トゥオッツォ
撮影:パブロ・デレーチョ
出演:
ダリオ・グランディネッティ(カルロス)
メルセデス・モラーン(スサーナ)
ウリセス・ドゥモント(ブラウリオ)
パブロ・ラゴ(ダニエル)
バンド・ビリャミル(アティリオ)
オスカル・アレグレ(ゴメス)


大阪・十三の第七藝術劇場でしばらく前に観た,珍しいアルゼンチン映画の一作です。

じつはもう4年も前の作品で,何ゆえ今になって配給されたのだか,事情はよく知りませんが,世界各地の映画祭でかなり賞を獲っているようですし,実際に観ても,けっこう佳作であると思いました。

それなのに,私が観たとき,日本での上映館は5館だけで・・ いま公式サイトを見ると7館に増えているようですが,でもまあ,かなりマイナーな扱いなのは確かです。


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本作は,鉄道民営化でリストラされた鉄道員たちの「その後」を描いた作品ですが,何しろ日本のように失業保険や再就職支援など社会的サポートのある国とはまるで違って・・ 

こういう映画を観ると,今の日本はつくづく幸せな国だなと思わざるを得ないですね。

そういえば,今,日本では鉄道系の労働争議などほとんどありませんが,私が子供の頃は,けっこうストライキがあって,その度に学校が休みになったりしましたっけ。

何より,二十年前,国鉄が分割民営化されてJRになったとき,不採算路線の廃線やリストラが断行されたわけですから,やっぱり他人事ではないのでしょう。


映画のタイトルから,私の好きな鉄道の疾走するシーンが多いのだろうと期待したのですが・・ その期待はものの見事に裏切られ,鉄道が走るシーンは前半にワンシーンあり,あとはラストシーンがあるだけ。

それもそのはず,冒頭からいきなり鉄道路線は廃線になってしまい,労組の代表は自殺してしまうという幕開きなのです。


映画は,元鉄道員5人とその家族の「その後」を同時併行で描いていて,失業したオジサンたちが職探しをしたり,引きこもったり,独り修理工場で抵抗を続けたりといった哀しいエピソードを,ラテン的な明るさに包んで綴っていきます。

表面上の可笑しさ,明るさとの対比で,余計に人生の悲哀を際立たせるといった趣向。


映画の終盤まで5本のレールに分かれていた物語は,ラストのある劇的な事件によって1本のレールに合流し,そこを次世代の若者たちを乗せた列車が貫くように走ります。
 
八方ふさがりな暗闇の中を,一陣の光がつんざくようなイメージ・・ 最後の最後まで,明確な希望はあえて見せないで,何とか明日へと希望をつなぐような感覚。

映像自体は,どちらかと言うと息苦しい画面構成でスカッとしないので,最後ぐらい,もう少し明るく空気の抜けの良い画面を見せてくれたら,と少し残念な感じはしますが・・ 

やはり列車は夜に走らせる必要があったのでしょう。これこそが,この作家の象徴志向の表れのように感じました。


私はアルゼンチンの社会情勢などに詳しいわけではありませんが,それにしても理不尽極まりない。今の幸せな(?)日本では,こんな作品はもうできないでしょう。

しかし,日本もかつてはそうだった。過酷な状況に置かれながら,たくさんの人間があがいてもがいて,一つひとつ幸福をつかみ取って来た。それは戦後の日本映画を線で観てくれば,わかること。


「社会派」なんて言うのは口幅ったくてイヤですが,今の日本人(或いは日本映画)が失ってしまった,ある種の「粘り気」を感じさせる1本でした。


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2008/05/16

昨今の邦画リメイクと時代劇の行く末

清水宏の『按摩と女』をカバーした『山のあなた 徳市の恋』がもうすぐ公開になるようですね。

この話題については,もう1年近く前にこのブログで記事(→この記事)を上げていたので,もうとっくに公開されていたものとばかり思っていたのですが・・

それにしても,最近は邦画界もハリウッドに負けず劣らず,旧作のリメイクやカバーが流行りのようで・・ 今年,没後10年を迎えた黒澤明作品も,昨年の『椿三十郎』に続き『隠し砦の三悪人』がリメイクされ公開中。

原作品を超えるのは困難でしょうけど,これを機会に多くの人が清水や黒澤のオリジナルの方にも目を向けてもらえれば,私としては望外の喜び。それなりに意義はあったということで・・

しかし,時代劇のリメイクは,どうしても分が悪いでしょうね~ 昔と違って,もう専門役者はいないし,殺陣師やからみの役者も,今どき,どれほどの人材があるのだか・・ 全盛期の職人さんたちはどんどん高齢化し,引退してしまった人も多いでしょうから。

これはハリウッドの西部劇映画なども同じ事情なのかもしれませんが,様式や伝統が重んじられる日本の時代劇の方が,現実はずっと深刻なように思います。

昔の時代劇は,特有の台詞づかいが鍛えられていたし,例えば既婚の女性はお歯黒をしていたりと,そんな風俗描写も板についていましたが,今どきのはどうも・・

ちょっと前に,夜中の某テレビ番組で藤田まことをゲストに向かえ,「必殺シリーズ」の特集を組んでいたのを見ました。

必殺が始まった1970年代の初めといえば,映画の斜陽化がいよいよ深刻になっていた頃,映画界からテレビの方へ,どんどん人材が流れていたようです。

番組中,必殺初期の頃のプロデューサーがインタビューに答えて曰く・・

「とにかく『映画』から来た人はぜんぜん違った。テレビのディレクターなんて子供みたいなもんやった」

1970年に大映が倒産すると,三隅研次や田中徳三などはテレビへ活躍の場を移し,必殺シリーズも撮っていたようです。

今観ても,その頃のテレビ時代劇というのは,やはり「映画的」なんですね。今どきの作品とはずいぶん空気感が違います。

それから30年以上がたち,映画界から来た職人さんたちも既に退いた人が多いでしょう。もう時代劇は,役者も含めて映画育ちの職人はほとんどいなくなった・・

今はテレビの方から映画に手を出す時代。テレビ番組の特番が映画(のようなもの)としてスクリーン上映されたりするわけですから・・ 時代は変わったのだと思わざるを得ません。

これから先,邦画・・特に時代劇はどういう途をたどって行くのでしょうか? 一映画ファンとしては,ただ黙って見守るほかないのですけど・・

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2008/05/11

新進監督の「鉄道」ムーヴィー2本

ここしばらくカール・ドライヤー作品のしんどいレビューに手を焼いている間に,じつは最近封切られた作品を2本を観ていたのですが,これがどちらも「鉄道」をあつかった作品。

しかも,この2本の監督はまだ若い新進作家で,それぞれ1969年生と1970年生の同世代・・

ところが,その作品傾向は全く対照的で,住む世界が違うといった印象なのです。

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1本目は,私としては珍しく20世紀フォックス配給のハリウッド映画
『ダージリン急行』(2007年)。

シネ・リーブル梅田のレイトショー1200円につられて,何となく観た映画で,ハリウッドらしく,ふんだんにお金をかけてインドロケを敢行したロードムーヴィー。しかし,味わいはインディペンデントなのです。

監督のウェス・アンダーソンという人を私はよく知りませんが,最近けっこう注目されているらしく・・ どこか60年代的なサイケデリックなセンスが面白い。

兄弟の確執をモチーフにしながら,いかにもアメリカ映画らしく,生活観がほとんどなく,肩の力を抜いて観られる"ブルジョワジーなフィルム"です。


2本目は,日本で公開されること自体が珍しいアルゼンチン映画
『今夜、列車は走る』(2004年)。

これは先週,第七藝術劇場で観ましたが,公開(予定)は全国で5館だけという超マイナー作品。東京では例によってユーロスペースのみの公開・・ ただ,好評によりレイトショーで延長になっているようです。

こちらは,鉄道の民営化によってリストラされた元鉄道員たちの生活観あふれる"プロレタリアートなフィルム"。多分,DVDにもならずに終わるような低予算作品ですが,芯はしっかりしています。

シリアスで重苦しいテーマながら,ラテン系らしく人間の可笑しさを表現して辛くなりすぎない処理は,映画として好感が持てます。

監督のニコラス・トゥオッツォは,これが長編処女作。世界各地の映画祭で高く評価されたのに,それから4年もたって,今年ようやく2本目が撮れるのだそう。アルゼンチン映画の現状は厳しいようです。


どちらが良いとか悪いとかいうことはなく,それぞれの世界観のなかで,それなりに佳作であると思います。レビューはまた近いうちに・・


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2008/05/10

『怒りの日』 ~人間であることの罪~

1943年/デンマーク/97分
製作・監督:カール・T・ドライヤー
脚本:ポール・クヌッセン,カール・T・ドライヤー,モーウンス・スコット=ハンセン
撮影:カール・アンデルソン
出演:
トルキル・ロース
リスベット・モビーン
アンヌ・スビアキア
シグリ・ニーエンタム


これはドライヤーの作品の中では,比較的,ストーリーラインが明瞭で表現も解かりやすく,映画としてはふつうに観やすい作品であると思います。

例えば『ゲアトルーズ』のような,ユッタリと眠気を誘うようなリズムの作品とは違い,演劇的なスピード感があって,サスペンスも強烈で面白い映画といえるでしょう。

それと同時に,厳しく「人間」を凝視する視線を持った作品でもあると思います。

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本作は,ヨーロッパ中世の魔女狩りに材を取っており,ドライヤー作品の中では,『吸血鬼』ほどではなくても,視覚的なケレン味があって,取り分け肉体感覚の生々しさでは群を抜く印象です。

魔女の血を引くとされるアンネは,父娘ほど年の離れたアプサロン牧師の後妻に入りますが,老いた聖職者の妻という欲求不満に加え,姑にも憎まれ針のむしろ。そんななか,学業を終えたアプサロン師の息子が戻ってきます。


まず,序盤で魔女とされる老婆を捕え,火刑にするシーンが恐ろしい・・

教会の殺風景な審問部屋で,多くの牧師が取り囲んで,老婆を拷問にかける。ドライヤー映画特有のシンプルな室内,その壁に踊る「影」,よどんだ空気をつんざく老婆の悲痛な叫び声・・

この老婆が,牧師に脅迫まがいの命乞いをするあさましい「人間」として描かれているのがポイントで,拷問シーンではブヨブヨの肌を露わにして,乳房が見えそうなくらい・・ その不快な肉感や生命感が,続く火刑シーンの恐ろしさを倍加させている感じがします。


問題の火刑シーンは『裁かるるジャンヌ』と同じく,昼間の屋外セットでドキュメンタルな感覚を活かしています。

ともかく,高い梯子に括りつけた老婆を,モクモクと煙を上げる業火の中へドサッと落とす一瞬がショッキングで,その生々しい質感は,今どきの無機質なコンピュータ映像では表現のしようがないものでしょう。


アンネは,最初のうちは貞淑な印象ですが,アプサロン師の息子と出会って,徐々に魔性をあらわし,老婆の無残な火刑をも忘れ,義理の息子を誘惑して禁断の愛に身を焦がします。


アンネを演じた女優の目が印象的で,彼女の顔のクロースアップが繰り返され,意識的に横からライトを当てて,爛々とした目の光を強調しています。

特にクライマックスで,アプサロン師に残酷な責め言葉を浴びせ死へと誘うアンネを,これでもかというぐらい美しく撮り,緊迫感と同時に,ある種のエクスタシーで最高潮に達します。

そして,アプサロン師がついに命を落とすとき,観ている方も,自分の心奥に潜む「悪魔」を暴いて見せられ,ハッとさせられるのです。


これは,もちろん魔女を主人公にしたホラー映画ではなく,魔女とされる人物も,ふつうに人間として描かれます。

本作の本領は,宗教的な戒めなどでは決してなく,宗教と対峙する生きた人間の真実,抗いきれない本能と,その「罪の本質」を暴いて見せたこと・・ 実に峻厳な作品であると思うのです。


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2008/05/04

『ゲアトルーズ』 ~これが純化の極地なのか~

1964年/デンマーク/117分
監督・脚本:カール・T・ドライヤー
撮影:ヘニング・ベンツェン
出演:
ニーナ・ペンス・ローデ
ベント・ローテ
エッベ・ローデ
バール・オーウェ


映画のレビューを書いていて一番苦しむのは,文章では,ほとんど何も語りつくせないような作品に出くわしたとき。

誰もがそうなのかもしれませんが,私はブレッソンやタルコフスキー,そして今回のカール・ドライヤーの諸作については,いつもその思いを強くします。

本作はドライヤーの遺作ですが,他の作品に比べると,ちょっと異質な感じがして,これをどう表現すればいいのか・・ 今回は迷いながらのレビューになってしまいそうです。


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映画史にその名を刻する巨匠カール・ドライヤーは,「聖なる映画作家」などと呼ばれることが多いようですが,そういう視点ばかりで捉えるのは,私には違和感があります。

いつもドライヤー作品を観るたびに,私は,映像に何やらセクシャルな感覚がつきまとうのを感じるのです。それは精神性の発露と同時に,俗な肉体感覚を映像に還元して見せるとでもいましょうか。


『奇跡』(1954年)の有名なラストシーン,モノクロームの簡潔な画面の崇高さと,棺に横たわる妻の亡骸の聖性・・

しかし,このシーンの感動の本質は,「聖骸」を生きた「肉体」に還俗(げんぞく)させる瞬間にこそあるのではないかと思うのです。甦った女が夫と抱擁し接吻しあうそのフォルムの生命感・・ この肉体感覚があってこそ,かのシーンは輝きを帯びて感動的なのであると。


ベッドに括りつけられた娘の凄絶な美貌,魔女の血を引く人妻の淫靡な誘惑,生きたまま業火で焼かれる女の肉感・・ ドライヤー作品に見られるサスペンシヴで官能的な映像の数々。

ドライヤーの映画は,ただ高尚で無機的な精神の映画ではなく,いつも精神と対置される肉体の存在感によって人間の「真実」を表現しようとしている,言うなればそんな印象なのです。


そんな中にあって,この『ゲアトルーズ』はかなり趣きを異にし,ひたすら枯淡として肉体感覚の希薄な作品といった印象があります。 

主人公のゲアトルーズ(を演じた女優)は,洗練されたイメージが強くて,俗な言いかたをすれば,女臭さが薄く性的魅力に乏しい・・

それは,『奇跡』から10年の沈黙を経て,当時すでに70歳代の半ばだったドライヤーが到達した境地を物語っているようにも思えるのです。


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本作は,「真実の愛」を求める女ゲアトルーズをめぐって,彼女を取り巻く男たちとのツーショットの会話を中心に構成される様式性の高い作品。

男は仕事に生き,女は愛に生きるといったいささか通俗的な図式のドラマを,限られた空間における,静かに内面をあぶり出すような映像で綴っていきます。


会話する男女を,ソファの端と端に並べるようなショットが繰り返され,キャメラをゆったりと左右に移動しながら人物をとらえ,そのフォルムや距離感,交錯を拒絶する視線などで,心の距離やすれ違いを表現します。


夫やかつての愛人と会話するゲアトルーズの視線は,常に宙をさ迷っているのですが,歳若い不倫相手との逢い引きでは,しっかりと顔を見据えて愛を語り,接吻を繰り返す・・

印象的なのは公園での逢い引きシーン。ゲアトルーズと若い愛人は抱擁しあい愛を語る。ゲアトルーズが「(愛していると)もう一度言って」とせがむと,男はゲアトルーズの身体から離した手をやおらポケットに突っ込み,「愛している」と冷めた調子で言う。

こういった静的なフォルムと表情の微細な変化,音像の象徴性などにより,ゆったりと,しかし確実に,見えない「真実」を垣間見せる映像の妙。


夫も,愛人も,かつての恋人も,すべてを捨ててパリに住む旧知の医師の許へと家を出るゲアトルーズ,その嬉々とした歓びの表情・・

ところが,そこから突如として時を超越し,アヴァンチュールのすべてを省略して,愛に生きようとながら,ついに愛を得られなかった女の皮肉な末路を見せてしまう。

ラストショットの固く閉じられた扉が,老いた女の諦観を物語るかのようであります。


老境に入った作家が,もはや精神のざわめきも,肉体の疼きも昇華しつくし,純化されたようなタッチで見せる様式劇。これを本当に理解するためには,私などは,まだまだ年季が足りないのかもしれません。


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