2006年/ポルトガル・フランス/70分
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
製作:セルジュ・ラルー
脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ
撮影:サビーヌ・ランスラン
出演:
ミシェル・ピコリ(アンリ・ユッソン)
ビュル・オジエ(セヴリーヌ・セルジー)
リカルド・トレパ(バーテンダー)
レオノール・バルダック(娼婦1)
ジュリア・ブイセル(娼婦2)
ローレンス・フォスター(指揮者/特別出演)
マノエル・ド・オリヴェイラの最近作は,かのルイス・ブニュエルの名編『昼顔』にオマージュを捧げ,その登場人物の38年後を描いたという設定。
しかし,『昼顔』が人間の業を白日にさらした構成的なドラマであるのに対して,本作はその続編というシチュエーションを借りながら,まったく傾向の異なる軽妙な一編で,ドラマの終幕を引く「映像詩」とでも言うべきものであります。
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『昼顔』は,カトリーヌ・ドヌーヴ演ずる背徳の人妻セヴリーヌを主人公とした倒錯愛の物語。ミシェル・ピコリ演ずる好事家アンリ・ユッソンは,キーマンではあっても脇役でしかありませんでした。
しかし,本作は全体がユッソン氏の視点から描かれており,しかも中盤までは,ほとんど彼の一人芝居に近く,その視点の違いは,そのままブニュエルとオリヴェイラの作家的な違いと言えるのかもしれません。
ブニュエルは自らのフェティシズム感覚を映画づくりのベースに持っていて,だからその映像は耽溺性と耽美性にあふれ,セヴリーヌのみならず,チンピラ青年の爬虫類的な気味の悪さなど,独特な肌触りに彩られていました。
そこには,人間性の闇を見つめながら,人生を突き放した視線で切り取るといった趣がありました。
それに対して,100歳に近いオリヴェイラにはそういった「生臭い」感覚はなく,あるのは人生の落日を迎えた好き者老人の孤影。
過ぎ去ったものは虚しく,もはやかつての面影を留めてはいない。セヴリーヌに再開し,久々に昂ぶる心・・ しかし,ユッソン氏の前にいるのは,もはやかつての背徳の美女ではなく,市井の片隅にひっそりと生きる老婦人。
ユッソン氏が常に口許に浮かべた微笑が象徴的で,どこか言い知れぬ諦念が漂っています。
遠い過去の「真実」も「裏切り」も,今はもうどうでもよいこと。ロウソクの炎が燃え尽きるように命尽きるとき,人生のあらゆるものは(愛も罪も)等価となる・・ そんな感覚が跡を引きました。
作中,ユッソン氏がバーテンダーを相手に,かつてセブリーヌが犯した罪の正体を語るシーンがあるのですが・・ 笑みを浮かべて,美味そうにウィスキーにノドを鳴らすユッソン氏。悠々とフィックスで撮ったフォルムに,ノドの音像を際立たせる,そんな重厚な描写が心憎いですね。
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本作では,シークエンスとシークエンスの合間に,パリの街並みの昼夜の俯瞰ショットが挿入され,これは小津映画でいうカーテンショットに類するものと考えられます。
しかし,小津が例えば3秒で切るものを,何十秒も延々と見せ続け,しかも,そこだけBGMとしてドヴォルザークの第8番交響曲をこれでもかと聴かせるんですね。
このショット以外は全くの生活音だけで構成されているため,その浮き上がり方が印象的で,ひょっとして,舞台の幕間のような効果を狙ったものかもしれません。
また,ホテルの外に立つジャンヌ・ダルクの像を,これまた微笑を浮かべたピコリの視点を借りて,執拗に映し続けるシーン。
これは物語の進行とは関わりなく,明らかに作品の中で孤立しており,映画を構成する一要素でありながら,シーンが独自性を主張している。
まさかブニュエル作品『小間使いの日記』のジャンヌ(・モロー)をもじったのではないとは思いますが,自在に映像を操り,独特な空気感を前面に出す。そういった作家の拘りが感じられます。
ほかにも,『昼顔』で東洋人(日本人?)が持っていた虫の羽音がするナゾの箱を再登場させ,ラストは唐突に鶏がヒョコヒョコと出てきたり,ブニュエル映画のファンをクツクツと笑わせるようなマニアックな一面があります。
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特徴的なのは,フィックスを基本にした長回し撮影ですね。
冒頭の演奏会で,セヴリーヌを追って劇場を出たユッソン氏が,彼女に逃げられて一人ポツンと劇場の入口付近をウロウロするシーン。
劇場を出た人波はひとしきり過ぎ去り,誰もいなくなって門は閉じられ,灯りも落とされ・・ 映像が寂しくなるのと併行して,言い知れぬ無常観がスクリーンに満ちていく。それをワンショットで魅せる感覚描写。
そして,何といっても圧巻は,ユッソン氏が嫌がるセブリーヌを誘いだしての夜会シーン。
料理の最初の一皿が出されて,それを二人が食べ終わるまで,延々とサイドから固定のワンショットで撮り続け,その間,一言のセリフもないんですね。
給仕のいる個室なので,二人とも立ち入った会話ができず,その緊迫した空気のなか,どちらかが口を開くのを,今か今かと待つサスペンス。
ラストは給仕たちが部屋を片づけるのを,これまた固定・長回しで見せ,料理やワイン,テーブルクロスなど小道具が取り払われ,色褪せたテーブルと椅子,蜀台が残され,最後はロウソクの炎とともに何もかも儚く消え去る。
まさに悠揚迫らず,わずか70分のなかで,大胆にそして細心に映像を紡ぎ,そこに生じる芳醇な味わい,そこはかとない艶やかさ。御歳100を数えるという作家の人生観を凝縮したような逸品であります。
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