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2005年9月

2005/09/30

祝!阪神タイガース優勝!!

今日は映画とはなんにも関係ない話ですが・・・,

でも,やっぱりこれだけは書いておかなきゃねー。(^^

今回は2年待っただけでしたー(感動的に早かった!)。

前のときは18年待たされ,その前にいたっては21年待たされ・・・,

何せ40年生きてきて,まだ3回目ですから。

それでも止められない,やっぱり応援しつづける,

「阪神ファン」という世にも珍奇なる人種の性であります。

いやー,今日はうれしかった・・・。(感涙)

 
 

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2005/09/29

『鶴八鶴次郎』 ~その現代性と様式美~

1938年 日本/P.C.L映画製作所
演出・脚本:成瀬巳喜男
原作:川口松太郎
脚本:成瀬巳喜男
撮影:伊藤武夫
出演:
長谷川一夫(鶴次郎)
山田五十鈴(鶴八)
藤原釜足(佐平)
大川平八郎(松崎)
三島雅夫(竹野)


フィルムセンターの成瀬巳喜男特集レビューも第5弾となりました。

この作品は,ずっと観たいみたいと思っていながら,なかなか観る機会に恵まれずに,ようやく今回の特集上映で鑑賞の機会を得たのでした。

成瀬巳喜男が戦前・戦中だけに撮ったいわゆる芸道モノの一本ですが,戦前の成瀬映画をチラチラと観た中では,私のいちばん好きな作品です。


同じ芸道モノに括られる『歌行燈』(1943年)が,泉鏡花の世界観にドップリつかった古いパターンの因縁モノであったのに対し,それより5年前に撮られた本作のほうが,明らかに現代的でリアルな人間ドラマに仕上がっています。

『歌行燈』では,未だ女性は抑圧の対象であり,前近代的な封建社会の枠組みを出ることがなかったのですが,本作における男女の間柄はより開明的であり,そこに成瀬流の心理的な葛藤描写をぞんぶんに活かす「場」が生まれました。

ちょっとした言葉のアヤから,男女が徐々に大喧嘩にはまっていく過程の緊迫感と心情描写の確かさ。全編を通しても演出にムダがなく,この時代の映画としてはテンポも良くて,上々の仕上がりだと思います。


この『鶴八鶴次郎』がより現代的であることの理由として,本作がアメリカ映画『ボレロ』(1934年)の翻案であることが挙げられます。

通常のリメイクとは違って,まず川口松太郎が映画『ボレロ』を小説に翻案して直木賞を獲り,それを成瀬監督が自ら脚色して映画にしたのですが,そんなわけで,男女関係の表現にも,どこかモダンな感覚が注入されたのでしょうね。


この主人公の男女は,新内節のコンビという設定で,長谷川一夫演ずる鶴次郎が浄瑠璃語り,山田五十鈴演ずる鶴八は三味線弾き。

二人が舞台に並んで座り,新内節を聞かせるシーンが繰り返しあるのですが,この両人を,舞台下手側の斜め横から撮ったショットが実に魅惑的なんですね。

手前に背筋を張って浄瑠璃を語る長谷川一夫,奥には長い首筋をたおやかに前にかしげて三味線を弾く山田五十鈴。そのシルエットの様式的な美しさは圧巻であります。

こういうショットをはじめ,日本家屋の構造を利した奥行きのある人物配置などに,成瀬監督らしい独特な画作りの冴えを見せています。


一つ気になったのは,山田五十鈴の方は場面によって化粧に変化をつけながらも,だいたい自然な薄化粧であるのに対し,長谷川一夫は常に目張りを利かせた時代劇風の化粧であること。

長谷川一夫といえば,昭和初期のチャンバラ映画全盛期を支えたいわゆる「七剣聖」の一角。歌舞伎の女形出身で,松竹時代劇の看板スターでした。それが本作の前年に東宝へ引き抜かれ,そのトラブルが元で暴漢にカミソリで頬を切られ大怪我をしたんですね。

傷痕を隠すための厚化粧は必須だったようですが,ただ必要以上にキツ~イ目張りは,やはり歌舞伎時代から引きずった癖だったのかもしれません。


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2005/09/24

<稀少体験>地下でポーランド映画鑑賞

今日は,夕刻から京橋のフィルムセンターで,成瀬巳喜男の『流れる』(17:00)を観るつもりにしていましたが,前の用事が早く済んだので,同じフィルムセンターで並行開催中の「ポーランド映画、昨日と今日」の16:00の枠に切り替えました。

何せ,この機会を逃すと,大袈裟でなく,もう二度と劇場でお目にかかることはないかもしれない作品ですから。『流れる』のほうは,また別枠で観られますけどね。


で,今日観たのは最近のもので,『ワルシャワ』(2003年)という作品。ポーランド劇映画祭でグランプリを獲ったのだそうです。

といっても,もちろん日本未公開だし,あらゆるメディアを通じて日本での露出は皆無のようで,某映画関係の巨大サイトなどに行っても,何の情報もありません。

当然,ビデオやDVDなどでは観ることはできないし,一縷の望みはBS2がいつか拾ってくれるのを待つぐらいですかね。(WOWOWじゃ無理でしょうねぇ)


こういうのを平然と観せてくれるのが,フィルムセンターの良いところなんですが,それにしても,何で成瀬特集と並行開催なんだか・・・。本当は先週やったポーランド旧作集(特に1950年代の作品)のほうが観たかったんですよね。(T_T)

まあともかく,1本は観ることができてよかったです。


******************

ところで,今日は初めてフィルムセンターの地下小ホールに入りました。まあ,ホントに小ホールでしたね。(^^;

スクリーンも客席も街の名画座並みで,いつもの大ホールとはエライ違い。床の傾斜が浅い上に,シートも浅くて狭いので,前に座高の高い人が座ると災難。

しかし,街の映画館と違うところは,映画慣れした年配のお客さんが多く,比較的マナーが良くて,このような環境下では,後ろの人のために,できるだけシートに深く沈んで観るという不文律を守ってくれること。


この151席の小ホールが今日は途中で満員札止めになり,入れなかった人も多かったようです。映画通にとっては,やはり垂涎の特集なんですよね。

今日のレビューはまた後日。


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2005/09/23

『二人妻 妻よ薔薇のやうに』 ~成瀬の過渡期的実験~

1935年 日本/P.C.L映画製作所
演出・脚本:成瀬巳喜男
撮影:鈴木博
音楽監督:伊藤昇
出演:
千葉早智子(山本君子)
丸山定夫(山本俊作)
英百合子(お雪)
伊藤智子(山本悦子)
藤原釜足(悦子の兄)
大川平八郎(君子の恋人)


フィルムセンターの成瀬巳喜男特集第4弾であります。

トーキーが撮りたくてP.C.L(東宝の前身)に移籍した成瀬監督の,移籍後3作目らしいですが,この前年まで松竹でサイレントを撮っていたわけですから,時代の変わり目の過渡期的な作品だったのでしょうね。

軽いタッチの脚色やモダニズムを強調する画づくりは,まだ松竹蒲田的な小市民モノの延長上にあり,子役を使ったギャグの表現などにもその名残を感じさせます。


時代は昭和初期,主人公は都心に勤める若いOL。彼女の父は愛妾のもとに走り何年も帰らない。

他の「女性映画」とはやや趣を異にし,主人公の娘はむしろ狂言回しに近く,一人の男をめぐる2タイプの妻(本妻と妾)の,それぞれの綱引きの顛末がストーリーの芯になっています。


当時の背景として,まだ戦争前で大正デモクラシーから続く民主的啓蒙の時代,都会においては進歩的な考え方の女性が増えていたのでしょうね。それに馴染めない旧世代の男は大いに弱り,「かしずく妻」への郷愁抑えがたく,妻も子も捨て妾のもとへ・・・。

いつの世も図式化されてきた男女のすれ違いの機微ですが,この時代にはこの時代なりのシチュエーションがあったわけですね。


誰も悪者にしない独特の話法に則りながら,心理の葛藤や感情の揺らぎをさりげなく控えめに,しかし的確に表現しながら映像リズムを紡ぎだす手腕には,既に成瀬監督らしい安定感が漂っていました。


*******************

さて,本作を見た限りでは,手法的にまだサイレントの名残がかなり色濃く感じられますが,同時に,のちの成瀬作品には見られないような,技法的な試みに腐心している様もうかがえました。


冒頭の主人公が勤めるオフィス街の夕刻シーン。窓のブラインドを下ろすのを皮切りにキャメラは屋外に出て,極端なローアングルから見上げるようにビル群を映し出します。

そこを顔のないサラリーマンの群像が,まるでロボットみたいに靴音を立てて家路につく。どこかシュールレアリスティックで無機的な都会のイメージ。

このいきなり成瀬らしからぬアヴァンギャルドな表現にギョッとなりますが,シーン変わって主人公の女性が登場し,スッと現実世界に引き戻されます。


全体としては,やけにショットの分割が細かく,俳優が一つのセリフを喋る途中にも忙しく画面が切り替わります。

会話の途中で,いきなりキャメラが室外に出て,脈絡のつかめない家の一部みたいな画を挿入し,次いで窓から家のなかを覗く客観ショットにつなぐ・・・,こういうのは,サイレント時代のモンタージュのリズム感を思わせます。

しかしながら,サイレントと違ってトーキーでは,こういうつながりの唐突なショットの束でも,一つのセリフで串刺しにすることによって,シーンの意味的なまとまりを欠くことがないんですね。

ほかにも,例えば室内の場面から,急にキャメラを塀の上を歩く猫の視線に移して,外から家の中をのぞくようなショットに切り替えたりしますが,音声によってふつうに物語が流れていれば,特に違和感はないわけです。

こういうのは,前衛作家でも何でもない成瀬監督にとっては,実はトーキーならではの試みでもあったのかもしれませんね。


そのほか,シークエンスの変わり目で,前のシーンの音声を次のシーンの頭に(不自然なほど)長くかぶせたり,極端なローアングルやハイアングルを多用したり,人物へのトラックアップ(寄り)とトラックバック(引き)を交互に繰り返してみたり・・・。

この辺になると多少ともうるさくなって,効果のほどには疑問符がつきますが。

ともかく,後年は洗練されてムダのない表現で知られた成瀬監督も,トーキー初期には前衛的な表現技法やキャメラワークに凝ったり,実験的な試みを繰り返していたことがうかがわれ,興味深いものがありました。


*******************

一方で,この作品には構成上の工夫もあって,娘の説得で父親が久しぶりに家に帰り,母親と感動の再会(?)を果たす(はずだった)のですが,凡庸な作家ならば,きっと見せ場にしているであろうこの種のシーンを,あっさり省略してしまっているんですね。

この省略のために,父と娘が東京へ帰る列車内のシーンからあとは,唐突に娘の回想シークエンスに組み込まれ,一足飛びに親娘三人の外出シーンへと移ります。

かなり大胆な処理ですが,これ見よがしな演出を嫌った成瀬監督らしいクールでイキな構成だと思いました。


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2005/09/19

ポーランド映画特集 ~何とか1本でも~

フィルムセンターの成瀬巳喜男生誕百年特集も中盤に差しかかってきました。

昨日はがんばって朝から出かけ,2本観てきました。

『鶴八鶴次郎』(1938年)と『二人妻 妻よ薔薇のやうに』(1935年)です。

前者は戦中に撮られたいわゆる芸道物の一編ですが,『歌行燈』などとは違ってより現代的な印象の作品。また,後者は日本映画として初めてアメリカで商業上映された作品なのだそうです。

感想はまたのちほど。


フィルムセンターではこの成瀬特集と並行して,先週から2週間の予定でポーランド映画の特集が始まっており,これはかのアンジェイ・ワイダの発案による企画だとか。

ポーランド映画なんてなかなか商業上映される機会がないし,とても惜しいんですが,どちらかを犠牲にしなければならないので,取りあえず成瀬特集を優先して,ポーランド作品はまだ1本も観ていません。

こういうのは時期をズラしてやってほしいところですねぇ,ホントに。いったい何の都合で並行開催なんでしょうか?

ともかく,今週後半の連休で,何とか1本でも観られないかスケジュール調整中です。


話は変わりますが,都合により,今日からブログランキングへのリンクを,「日本ブログ村」様の映画ブログをメインに変更しました。しばらくこれで様子を見ようかと思っています。


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2005/09/18

『コーヒー&シガレッツ』 ~コントラストの美学~

2003年 アメリカ
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
撮影:トム・ディチロ フレデリック・エルムズ 
   エレン・クラス ロビー・ミューラー
出演:
ロベルト・ベニーニ
ジョイ・リー
イギー・ポップ
ジョー・リガノ
ルネ・フレンチ
アレックス・デスカス
ケイト・ブランシェット
メグ・ホワイト
アルフレッド・モリーナ
GZA
ビル・ライス


ジム・ジャームッシュ監督待望の新作です。(^^

相変わらず奇妙な映画を撮る人ですね~。今回は同じテーマで撮られた11本のモノクロ短編(というよりコント)を束ね,1本の長編としてまとめた作品。

ロベルト・ベニーニが登場する最初の1本は1986年に撮られたといいますから,『ダウン・バイ・ロー』のころですかね。その後,80~90年代には断続的に数本を撮り,大半の6本は2003年にまとめ撮りしたのだそうです。

17年もの長期にわたるプロジェクトとは,エラク気の長い話ですが,作品自体にそんな時代差は感じませんでした。


必ず2人か3人の人物が登場して,コーヒーとタバコを飲みながら,何やら意味深な会話をするというパターンの繰り返し。それなりにバリエーションはあっても,やや単調ではあります。

「ゆっくりと時間が流れる」とか「至福のリラックス」とか宣伝コピーにありましたが,どうもそんな印象ばかりではなくて,けっこう忙しかったような・・・。

何せ,別々のストーリーから脈絡のない断片を切り出してつなげたようなもので,しかもシチュエーションの説明も何もないので,観る側は会話の端々から登場人物の関係を類推し,唐突に展開していく会話に,一生懸命ついていかなければいけません。


で,他愛もないような普段着の会話が終わると,たいていどちらかが去って誰かが残されるわけです。最後まで画面に人がいるとは限りませんが,片方が去ったあとの様子をしばらく余韻を引きずるように撮るんですね。

ジム・ジャームッシュが私淑していた小津安二郎の映画には,いつもそこにいた人の姿が何かの事情でなくなる空隙の描写がよくあります。「喪失感」なんていうほど重くはないんですが,本作の残像の余韻には,ちょっとそれに通じるものを感じました。


それにしても,この人,モノクロで撮るのが好きですね~。今回も全編モノクロですが,それにはちゃんと意味があって,明らかに白と黒のコントラストに拘ったようです。

コーヒーの黒とタバコの白煙のコントラスト。これはこの作品のテーマの象徴でもあるのでしょう。


で,観ている途中で気づいたのですが,テーブルの模様(ないしはテーブルクロス)が,多くの場合,チェッカーフラッグのような白黒チェックになっているんですね。

モノクロ映像なので白と黒に見えるだけで,ホントは別の色かもしれませんが,それはともかく,どのエピソードにも必ず判で押したように,コーヒーとタバコの載ったチェックのテーブルを真上から撮ったショットを挿入しています。


これは観終わって公式サイトで確認したのですが,男女の双子が登場する"TWINS"(2番目)と,ケイト・ブランシェットの出演する"COUSINS"(7番目)はテーブルに何も模様がないんです。

で,この2回は,別のもので白黒コントラストを出していると勝手に解釈しました。

"TWINS"のほうは・・・,ちょっと書けないのですが,"COUSINS"はケイト・ブランシェットの髪の色に注目ですね。これはけっこうトリックを使っています。(^^


ところで,ルネ・フレンチという女優さん(?)をはじめて見ました。久々に"絶世の美女登場"という感じで,経歴など調べてもまったくわからないのですが,盛り上がったヘアスタイルやアンニュイな雰囲気が60年代のフランス女優みたいで,なかなかいい感じでした。今どきのハリウッドでは見かけないタイプですね。

コーヒー&シガレッツ<オフィシャルサイト>


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2005/09/13

『愛の神、エロス』 ~アントニオーニが現役だったとは!~

先日,久々に目黒シネマに行ってきました。

上映作品は以下の2本でした。
『コーヒー&シガレッツ』(2003年 アメリカ)
『愛の神、エロス』(2004年 仏・伊・ルクセンブルグ・米・中)


どちらも,いわゆるオムニバス形式の作品ですが,『コーヒー&・・・』の方は,ジム・ジャームッシュ監督による11本におよぶ短編集で,私にとっては久々のジャームッシュ体験。しかも,これはかなりディープな世界でした。感想はまた後日。


『愛の神・・・』の方はカンヌで受賞歴のある新旧の監督3人の競作ですが,何とその中にミケランジェロ・アントニオーニの名が・・・。「まさか」と思い確認したところ,この人,既に九十の齢を過ぎているはずで,短編とはいえ,自分で演出したのだとすれば大変なものです。


『愛の神、エロス』3篇の構成は下記の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第1部「エロスの純愛~若き仕立屋の恋」
監督:ウォン・カーウァイ

3作の中では唯一,ストーリーらしいストーリーがあって,割とまとまりのある作品です。奇抜な発想で裏をかくようなことをせず,話自体はオーソドックスですが,シックな色調と陰影を強調した画作りが凝っていますね。

全編,室内(スタジオセット?)だけの撮影に終始し,屋外のロングショットを全く入れない徹底した閉塞的世界の演出。狭い室内での寄りの構図一辺倒にはちょっと眠くなりますが,この種の短編では試みとして面白いと思いました。

男女は互いに惹かれあいながら,立場の違いから愛し合うことができず,「エロス」という面では,ありきたりな描写を避けたかったのは解かりますが,結局,手淫の描写を核にするしかなかったようですね。まあ仕方がないのでしょうが,格調は落ちましたね。


第2部「エロスの悪戯~ペンローズの悩み」
監督:スティーヴン・ソダーバーグ

3作の中でも物理的にもっとも短い作品だと思いますが,その割りに構成に凝りすぎたため,幾分,描写が不足している印象ですね。作品の構造を捉える前に唐突にエンディングがきてしまい,ちょっと呆気に取られました。

従って,未だに何だか判然としないところがあるのですが,つまりは,現実と夢の間を彷徨したということなのでしょう。あのモノクロ撮影のシークエンスは実は・・・。<これ以上はネタバレですね。>


第3部「エロスの誘惑~危険な道筋」
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ

さて,いよいよアントニオーニ作品です。幕開きでは,ごく普通にストーリー展開していきそうな予感を漂わせながら,観客は知らず別世界へ引きずり込まれ,気がつけば作家の心象世界を迷走させられることになります。

シーンとシーンのつなぎが唐突で曖昧な上に,ストーリーラインがじょじょに消えていくので,「物語」を期待すると,結果,徒労になります。理屈で考えず,網膜に映じるイメージをただ官能で捉える準備が必要でしょう。

「エロス」描写は3作のなかでもいちばん開放的で,ノビノビしていて,老いてなお盛んといいましょうか。これが90余歳の翁の感性とは恐れ入ります。

相変わらず風景描写が卓越していますね。しかも,今回はエロスがテーマだけに,かつての「愛の不毛」作品に見られた,どこか無機的で茫漠たる情景描写とは異なり,自然を強調して,生命の息吹のようなものを感じさせます。

海と岬,大きく蛇行する川,モニュメントのような古建造物,馬の群れが走る草原,そして豊かな女体。装飾性を一切排したシンプルで奥行きの深い風景は,エロス感覚を際立たせる効果をねらったものかもしれません。

ラストシーンをゆったり撮りすぎたためか,いくぶん間延びがしてしまい,短編に重要な切れ味の鮮明さを逸した感がありますが,世界的巨匠の趣味(?)の小品として記憶にとどめておくのも悪くはないでしょう。

愛の神、エロス<オフィシャルサイト>


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2005/09/10

『ベルリン、僕らの革命』 ~お金持ちは観ちゃダメ!~

2004年 ドイツ/オーストリア
監督:ハンス・ワインガルトナー
脚本:ハンス・ワインガルトナー
撮影:ダニーラ・ナップ マティアス・シェレンベルク
出演:
ダニエル・ブリュール(ヤン)
ジュリア・ジェンチ(ユール)
スタイプ・エルツェッグ(ピーター)
ブルクハルト・クラウスナー(ハーデンベルク)


映画というのは,観てから一定の時間が(例えば1週間ぐらい)経ってから,自分の中でどう消化され,どんな残像になっているかということが,評価の重要なファクターとなるのだろうと思います。

この作品は『バタフライ・エフェクト』と併映で観たのですが,『バタフライ・・・』のほうは,いかにも「アイデアがいいでしょ」的なアメリカ映画らしい作品で,観ているときはそれなりに面白かったのですが,数日経って何か書こうとすると,結局のところ何も思い浮かばない。

対して,本作については,以下の如く,けっこういろいろなことが書けるので,これはまあ,それなりに存在意義のある映画だったのだ(あくまで私にとっては)と気づくのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
作品自体は荒削りなところがあって,職人的技量に疑問を感じる部分もありますが,プロらしく綺麗に作品を整えようとするよりも,どこか「やりたいことをやっている」感じが何だか良いんですね。

撮影には,全編を通して手持ちキャメラが用いられ,常に画面がユラユラ揺れて安定感がなく,これはドキュメンタリーな感じを出したかったのか,それとも若者たちの止め処ないイラ立ちや不安定感を表現しようとしたものか。

しかもカット割りが執拗なぐらい細かくて,ワンショットで撮るべき一連の動作を2~3ショットに分けるようなことをワザとやりながら,一方で,人と人が対決する緊迫のシーンなど,要所では構図を決めてワンショットで長くキャメラを回しています。

この辺は映像リズムのメリハリなんでしょうね。アクティブで独特なリズム感があることは確かだと思います。


前半は展開がモタモタしてつらいんですが,若い男女が富豪の邸宅に忍び込む中盤あたりから,俄然テンポがよくなり,画的にも輝きが増していきます。

後半の若者3人と仕方なく誘拐した富豪のオジサンとの山小屋での共同生活のあたりは,けっこうスリリングな心理合戦もあり,見ごたえがありました。


それにしても,ドイツには日本では想像もできないような大富豪がいるようで,その邸の豪勢なこと,個人の家に室内プールまであるんですからね~。

そんな邸に留守をねらって忍び込んだ主人公たちは,何も盗むわけではなく,ただ家具調度を奇抜に配置がえし,ソファをプールに投げ込んだり,多少とも室内を荒らしてから,最後に「贅沢は終わりだ!」の標語を投げつけて逃げ去ります。

こういうのは,金持ちへの反感やフラストレーションの溜まった庶民(きっと私も含む)にとって,一度やってみたいと下世話な共感を覚えさせるところがありますね。(^^

主人公たちは邸内で割と平気でくつろいでいても,入れ込んで観ている私たちは,自分が空き巣になったようで気が気ではない。この辺のシークエンスは,手持ちキャメラならではの臨場感が利いていました。


この「反体制」を標榜する主人公たちは,大義として,大資本家の搾取を糾弾し,東南アジアの子供たちの貧困救済など訴えながら,しかし,どこかいい加減な奴ら。

酒もマリファナもやるし,小金ができたら海外旅行に行くし,駐車場の高級車にこっそり引っかきキズをつけてみたり,三角関係の痴情のもつれで,すぐに大義を捨ててケンカ別れもするし・・・。

早くいってしまえば,彼らはどこにでもいるふつうの若者たちだということ。

いろいろ理屈をこねながら,結局のところ,成功者に対する反感や,将来の見えない自身の閉塞感,そのフラストレーションのはけ口としての「体制批判」という図式ばかり前面に出てしまったため,作品のメッセージ性は脆弱で,配給会社は「若者たちの愛と友情」「社会への怒りを鮮烈に伝える青春映画」なんて宣伝してしまって・・・。(^^;


この監督はまだ30歳代半ばで,私よりも若い世代。1960年~70年代前半の反体制運動なんて欠片も知らないはずですが,今こんな時代にあって,「その時代」に対する憧憬を強く持っているようですね。

しかし,この作品では,「その時代」のニューシネマ作品みたいな悲惨な結末を見ることはありません。どこか穏やかな本作には,冷戦の時代とは異なる今様な「反体制の残像」を見る気がします。

ベルリン、僕らの革命<オフィシャルサイト>


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2005/09/08

『晩菊』 ~華よりオバサン~

1954年 日本
監督:成瀬巳喜男
脚本:田中澄江 井手俊郎
撮影:玉井正夫
出演:
杉村春子(倉橋きん)
沢村貞子(中田のぶ)
細川ちか子(小池たまえ)
望月優子(鈴木とみ)
上原謙(田部)


フィルムセンターの成瀬巳喜男特集第3弾!

今回は夕方5時からの枠でしたが,余裕しゃくしゃくのつもりで45分前に入ったら,もうすでに長蛇の列。皆さん,いつから並んでらっしゃるのか? お年を召した気の長い御仁が多いとはいえ,このシリーズは人気がありますね~。


さて,これは小品ですがとても面白い映画で,元芸者のオバサンばかり4人が主たる登場人物なのですが,人生の哀歓を表現しながら,あまり深刻なところがなく,コメディタッチで肩の力を抜いて観ることができました。

4人のなかでも芯になるのは,杉村春子の演じるいわゆる「金貸しババァ」というやつで,昔の仲間から口達者に貸金を取り立てながら,嫌われてもまるで意に介さず飄々として,だからといってアコギなわけでもない。いかにも杉村にピッタリな役柄です。


杉村春子が主演を張る映画というのはかなり珍しいはずで,しかも他の3人も,ふだんは芸達者が売りのベテランバイプレーヤーばかり。

もとより地味な成瀬作品の中にあっても,見た目にまるで華のない作品ですが,退屈するかと思ったら,さに非ず,実に楽しく滅多にアクビも出ず,フィルムセンターの館内には何度も哄笑が響きました。


望月優子が酔っ払ってクダを巻くシーンなど面白い場面はたくさんありますが,やはり杉村のところに昔の男(上原謙)が訪ねてくる一夜のシークエンスが見どころ。

金への執着だけで生きているような中年女が,この男の来訪には,まるで初心な乙女のように心踊らせハシャギます。しかし,男が酔うにつれて,高揚していた女の気分はだんだんと冷めて現実に引き戻され…。

時間の経過に沿って,場の空気が変化していく様が,実にきめ細かく巧みに表現されています。

夜更けにはとうとう雨が降り出して,今や見る影もなくショボくれた昔の男と,同じ屋根の下に閉じ込められる,その冷え冷えとシラけた空気感。夢が覚めたあとの女の孤独と諦観が鮮やかに浮き彫りにされます。


このシーンで唐突に杉村のモノローグ(心の声)が入って,ちょっと「おやっ」と思いました。心情描写の補完なのでしょうけど,杉村の表現力なら,表情や視線の動き,セリフの調子などでカバーできるし,あまり必要性を感じなかったのですが・・・。

成瀬作品では時おりこのモノローグが使われますね。心情説明を確かにする意味もあり,また,あまり芝居をしすぎて,うるさくなるのを防ぐ効果を狙ったものかもしれません。

こういうモノローグは,今の映画ではあまり使われることがなく,イマイチ高級な表現手法とは思われませんが,この時代には標準的な観客サービスだったのかもしれません。


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2005/09/06

豪雨の都心で何も知らず2本立て

昨晩は,東京地方を局地的な大豪雨が襲い,ところによっては洪水で浸水したり大変だったようで,被災された方には謹んでお見舞い申し上げます。

私はというと,飯田橋(新宿区)のギンレイホールで,夕方6時から何も知らずノホホンと映画を観ていて,2本観終わって10時過ぎに外に出ると,なんか雨降りそうかな?とあやしい雲行き。でも駅に着くまではなんともなくて,切符を買ってプラットフォームに出るといきなりドシャ降りの大雨。間一髪で難を逃れました。

しかし家にたどり着いてテレビで見るまで,そんな歴史的な豪雨とは思いもよらず,けっこうヤバかったですね。モタモタしてると無事には帰れなかったかも・・・。


で,昨日観たのは,いかにも今どきのアメリカ映画という感じの『バタフライ・エフェクト』(2004年 アメリカ)と,久々のジャーマンシネマ『ベルリン、僕らの革命』(2004年ドイツ・オーストリア)の2本。

どうもかなり意味不明なカップリングですが,『バタフライ・・・』は,よほど手の込んだタイムパラドックス型SFながら,映画としてはふつうの作品。一方の『ベルリン・・・』は,ドキュメンタリータッチな荒っぽい映像スタイルに拘った作品。

どちらも将来を嘱望される若い映画作家による作品ということで共通点があるのかもしれませんが,私にとっては,監督も俳優も名前を聞いたことがないという点で共通していました。(^^;

レビューは追々アップしたします。


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2005/09/02

『歌行燈』 ~成瀬らしからぬ成功~

監督:成瀬巳喜男
原作:泉鏡花
脚本:久保田万太郎
撮影:中井朝一
出演:
花柳章太郎(恩地喜多八)
柳永二郎(次郎蔵)
大矢市次郎(恩地源三郎)
伊志井寛(辺見雪叟)
山田五十鈴(お袖)
村田正雄(宗山)


フィルムセンターの成瀬巳喜男生誕百年特集の第二弾です(って,私個人にとっての第二弾なんですけど・・・ ^^)。


「歌行燈」といえば泉鏡花円熟期の名作で,久保田万太郎の脚色で新派が舞台化していたわけですが,戦時中,興行的に苦境に立った花柳章太郎らの新生新派が,この狂言の映画化を東宝に持ち込んだんですね。

劇団新派はもともと松竹と関係が深く,東宝に企画を持ち込むのは,いささかお門違いだったはずですが,どうやらお目当ては山田五十鈴だったようで,それも花柳御大ジキジキのご所望であったとか。

で,本作は東宝=新派の共同作品として,戦時色深まりゆく昭和17年,国家総動員法やら映画法やらにキュウキュウと締め上げられながらの製作決定と相成ります。

で,監督については,この数年前に同じく芸道モノの『鶴八鶴次郎』を撮っていた成瀬巳喜男でいこうと,何やらドタバタするうち,東宝の社長の一言で決まったような次第・・・。


それにしても巷で声価の高いこの作品,どう見ても成瀬本来の映像・演出リズムとは思えないんですが,さりとて決して駄作とはいえないし,それどころか,あまり成瀬らしくない点で成功している部分もあったりして・・・。


当初から,国の検閲を嫌って,すでに検閲通過していた久保田の新派劇用の脚本を流用する前提だったらしく,多少,映画向けに手直しをしたぐらいで,映画のための脚本を一から作ってはいないんですね。

そのため,他の成瀬作品とは異なって,ストーリーの振幅が大きく展開が「劇」的で,心理描写の流れよりも,話を流すための掛け合いに重点が置かれ,どこかお芝居臭の強い作品になってしまったのでしょう。

しかも,新派の大物役者が大挙出演し,主演ははじめから花柳章太郎と決まっているし,カツドー畑は山田五十鈴とあとチョイ役の女優さんぐらい。もともと新派の当たり演目でもあり,役者連の骨身にしみたお芝居のリズムを全部チャラにして最初から作り直すなんて望めそうもない。

まだ30代だった青年監督は,どこか割り切った姿勢で演出に臨むよりなかったかもしれませんね。


成瀬らしくないといえば,クレーンなど使って大きく移動するキャメラワークやロングショットによる広い空間表現が目立つこと。そして,そういうシーンの出色が,例の松林の木漏れ日に包まれた男女二人の舞の稽古シーン。

樹上より覆いかぶさるようなハイアングル(俯瞰)の位置から,まず主演者二人を画面の右上と左下の対角線上にとらえ,それがクレーンをゆっくり水平に下ろすにしたがって,対角の人物は徐々に手前と奥になり,松の幹は高くそびえ,そこに舞台では表現し得ない空間の立体化を・・・・云々・・・。

な~んて書けばよさそうに思えますが,だいたい成瀬巳喜男という人は,こういういかにも「クレーン使ってダイナミックに撮りましたよ~」みたいなハシタない画作りはしなかったはずで,これもやはり,ある種の割り切りのなせる業ではないかと感じるのです。


自分流の日常的なリアリズム表現にはあえて拘らず,「能」という極度に様式化された舞台芸術を,いかにして映画ならではの映像空間に昇華させ得るか。本作における成瀬巳喜男の焦点は実はこの1点にあったのではないか。

ことほど左様に,この松林の舞のシーンは素晴らしく,緩やかに揺れる木漏れ日を浴びた山田五十鈴の鬼気迫るような舞姿が浮かび上がる瞬間の映画的感興は,言葉では表現のしようもないほどでした。


それにしても撮影時48~9歳で,父親役の大矢市次郎と実は同い年だった花柳章太郎のどう見てもムチャな若づくり。舞台ならともかく,映画でこれはなかろうと思ったのですが,それが観ているうち不思議と気にならなくなるんですね。

うまく説明できませんが,これぞ花柳章太郎という稀代の名役者の「腕力」なんでしょうか。


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